ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 ルカによる福音書6章

聖書日課 ルカによる福音書6章(新共同訳 新約pp.111-114)

「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」(27節)。

 これは非常に有名な教えである。しかし、これほど実行の難しい教えもない。果たして私達にこのようなことが出来るのだろうか? ここでいくつかのことを確認しておきたい。

 まず、敵を愛するというのは、決して救いのための条件ではない。つまり、そう出来れば救われるということではない。寧ろ自分がそう出来ないことを認め、イエス・キリストの十字架を信じ仰ぐところにこそ救いがある。主の恵みと憐れみによって救われたからこそ、敵を愛することが出来るように、謙遜に祈り求めていく姿勢が大切なのではないか。

 次にこう言われている。

「悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない」(28~30節)。

 これも、「そんなこと出来るわけがない!」と言いたくなるような教えである。しかし、これは敵と同じ土俵に乗らないこと、つまり、憎しみに憎しみをもって、怒りに怒りをもって対抗しないことを教えているのではないか。そうでなければ、結局敵の思う壺にはまり、怒りと憎しみに駆られて振り回されることになってしまうからである。善をもって悪に打ち勝つ(ローマの信徒への手紙12章21節)ことを、イエス・キリストは求められた。

 更に、イエス・キリストは次のように言われた。

「しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(35~36節)

 敵を愛する生き方には、「たくさんの報い」があることを忘れてはならない。その中でも一番の報いは、「いと高き方の子となる」ことである。またそれは、憐れみ深い父なる神と似た者とされることでもある。父なる神は、私達が神の子とされ、憐れみ深い神に似た者となることを、誰よりも、何よりも喜んで下さる。