ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 マタイによる福音書2章

聖書日課 マタイによる福音書2章(新共同訳 新約pp.2-3)

 生まれたばかりのイエス・キリストを拝みに、占星術の学者達がはるばる東の方からエルサレムにやって来た(1節)。クリスマスのエピソードとして、とても有名な話である。

 この旅は今日の〈エルサレム巡礼ツアー〉とは違い、何ヶ月もの歳月と相当の財産を費やすことを覚悟しなければならないものであり、その上、安全の保証もない危険な旅であった。

 どうして彼らはそのような命懸けの旅をしたのだろうか。勿論、それは彼らが言っているように、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みに来たからであるが(2節)、ここには信仰の大切な一面が教えられている。つまり、信仰は人生を賭けるに価するものであるということである。

 これは、言い換えれば、歳月も財産も安全も、ずっと自分の手に握っていたいと思っている限り、私達は本当の信仰の人生を歩むことが出来ないということである。

 ヘロデ王エルサレムの人々は、まさにそのような人達であった。彼らは、救い主が生まれたという知らせを聞いて「不安を抱いた」(3節)。それは救い主の誕生によって、自分達の生活を邪魔されたくない、干渉されたくないと思っていたからではないか。それ故、彼らは救い主の身近にいながら、メシアを拝もうとはしなかった。それどころか、折角来て下さったメシアを排斥し、最後には殺してしまった。

 一方、占星術の学者達はどうだっただろうか。

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」(9~11節)

 人生を賭けて救い主に会いにやって来た彼らは、救い主のいる場所を知らせる星を見て喜びに溢れた。そして、彼らは、幼子イエス・キリストにひれ伏して拝み、宝の箱を開けて、贈り物を献げた。喜びに溢れる人生は、救い主への信仰と礼拝と献身から生まれる。