ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 マラキ書1章

聖書日課 マラキ書1章(新共同訳 旧約pp.1496-1497)

 神殿再建から長い年月が経過した。しかし、人々の生活は一向に良くならず、貧富の差も次第に大きくなり、社会には不正や悪が蔓延るようになっていた。そのような中、以前は熱心に主に仕えた人々の信仰も次第に冷めて来つつあった。そして、彼らは主なる神に対し不信感や疑問を持つようになっていた。

「わたしはあなたたちを愛してきたと/主は言われる。しかし、あなたたちは言う/どのように愛を示してくださったのか、と」(2節)

 この疑問に対して与えられた主なる神の答えは、イスラエルに対する選びの愛であった。

エサウヤコブの兄ではないかと/主は言われる。しかし、わたしはヤコブを愛しエサウを憎んだ。わたしは彼の山を荒廃させ/彼の嗣業を荒れ野のジャッカルのものとした」(2~3節)

 主なる神はイスラエルを愛し選ばれた。それ故、彼らをエジプトから救い出し、カナンの地で素晴らしい繁栄を与えられた。それは彼らが優秀だったからでも、努力したからでもない。それはただ主なる神の愛と恵みによる賜物だった。

 しかし、人々は、状況が自分達の思い通りにならないことに苛立ち、主なる神の愛を疑った。そのため、彼らは、主なる神の祭壇に汚れたパンや目のつぶれた動物、足が傷ついたり、病気である動物を献げた(7節)。何という侮辱! 何という恩知らずだろうか! その上、彼らは「我々はどのようにして御名を軽んじましたか」(6節)と言って開き直りさえした。

「何と煩わしいことか! 献げさえすりゃいいんだろう!」…これが彼らの信仰(?)だった。そして、自分達が主なる神に対してしていることは棚に上げて、主なる神が自分達にしてくれないことに不平・不満をぶつけていた。果たしてこれが信仰と言えるだろうか?

 信仰とは、主なる神の愛に対する心からの感謝であり、それ故に主なる神に最高のものを進んで献げようとする愛であり、そして、主なる神の恵みに対する全幅の信頼と従順である。