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沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ゼカリヤ書14章

聖書日課 ゼカリヤ書14章(新共同訳 旧約pp.1493-1495)

 ゼカリヤ書は、「その日」と呼ばれる勝利と希望の日を指し示して終わる。「その日」は、光に溢れる日であり(7節)、命の泉が湧き出る日であり(8節)、主が「地上のすべてを治める王となられる」日である(9節)。そのような主の日が、やがて必ずやって来ることを、ゼカリヤは確信をもって高らかに宣言した。

 ゼカリヤの生きた時代のイスラエルは、辛うじて自治は認められていたものの、大国ペルシアの支配下に置かれていた。この時代に限らず、ダビデとソロモン以後のイスラエルは、常に周りを大国に囲まれ、国家の安全が脅かされ、偶像礼拝の誘惑と影響を受け、信仰的・倫理的に低迷・退廃した時代を過ごしてきた。そのため、「都は陥落し、家は略奪され、女たちは犯され、都の半ばは捕囚となって行く」(2節)ということさえ起きてしまった。

 それでもイスラエルは地上から消え去ることはなかった。それは、「しかし、民の残りの者が/都から全く断たれることはない」(2節)と言われている人々が常に残されていたからである。

 彼らを支えていたものは一体何だろうか? それは、ゼカリヤをはじめ多くの預言者が語ってきた「その日」への希望ではないか。それが彼らの人生を力強く導き、支え続けていたのではないか。つまり、「民の残りの者」とは、どのような時にも「その日」が来ることを信じ続けた人々である。

「そのときは…夕べになっても光がある」(7節)と言われているように、「その日」を信じる者は、たとえ夕べの暗闇の中にあっても、希望の光を見失うことはない。主なる神の約束への信仰が希望を湧き上がらせ、暗闇の時代を強く生き抜く力となる。

 今、私達はどうだろうか。この複雑で困難な時代を真実に生き抜く力は昔も今も変わることはない。主の御言葉への信頼、「その日」を信じる信仰から湧き上がる希望、それが私達を現代における「民の残りの者」としてくれる。