ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ゼカリヤ書13章

聖書日課 ゼカリヤ書13章(新共同訳 旧約p.1493)

 前章に続き、終末におけるイスラエルの救いと勝利の預言が語られている。「罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる」(1節)とは、イエス・キリストの十字架の御業によって、救いの道、即ち罪の赦しと永遠の命の道が開かれることを指している。

 滾々と湧き出る泉が、どのような濁りや汚れもきれいに洗い流してしまうように、主イエス・キリストの十字架は、どのような罪も汚れも赦し清め、信じる者を永遠の命に生きる者として下さる。

 そればかりではない。イエス・キリストの十字架は、人間を罪と汚れに陥れる偶像を取り除き、また偽預言者や悪霊を追い払ってくれるものであることが預言されている(2節)。

 しかし、ここで私達が心しておくべきことが語られている。

「その日、預言者たちは皆、預言をしても自分の幻のゆえに恥を受け、欺くための毛皮の外套を着るのをやめ、『わたしは預言者ではない、土を耕す者だ。わたしは若いときから土地を所有している』と言う。また、『あなたの胸にあるこの傷はどうしたのか』と問われると、『それは友人の家で受けたものだ』と答えるであろう」(4~6節)

 これは、現代の偽預言者が、すぐにそれと分かる様相をしておらず、ごく普通の姿形で私達の周りに存在しているということを警告している。

 人の目には善いと見えるものがある。しかし、それが私達を主なる神から引き離し、罪と汚れと絶望に陥れるものとなることがある。それが私達に主なる神への信頼と従順をもたらすものとなるかどうか、きちんと見分ける目と心が大切である。