聖書日課 ゼカリヤ書2章(新共同訳 旧約pp.1481-1482)
ひとりの御使いが、測り縄を手にして、エルサレムの幅と長さを測るために出かけて行った(5~6節)。すると別の御使いが出迎えて、エルサレムは城壁のない開かれた所となることを、ゼカリヤに告げるように言った(7~8節)。
当時はいつ敵が攻め寄せて来るか分からなかった。そのような時代に、城壁のない町など、危険極まりないことだったに違いない。しかし、主なる神は確かにそう言われた。そして、「わたし自身が町を囲む火の城壁となる」(9節)と約束された。
人間の測りではかるなら、城壁がないということは、愚かであり、危険そのものである。しかし、主なる神の測りによれば、そこは「人と家畜に溢れ」る「開かれた所」となる(8節)。何故なら、主なる神ご自身が火の城壁となって町を囲み、守って下さるからである。そして、「わたしはその中にあって栄光となる」(9節)と言われているように、エルサレムは、主なる神の臨在の輝きに満ち溢れる町となる。
私達も、教会を〈城壁のないエルサレム〉のような存在として見てはいないだろうか。即ち、愚かで、弱々しい存在であるかのように。しかし、主なる神の約束によれば、教会は主なる神という最も確かな城壁によって囲まれ守られている。そして、教会が「開かれた所」、「人と家畜に溢れる」豊かで繁栄した所となるように、主なる神は祝福を注いで下さる。
私達は、自分の測り縄で教会をはかるのではなく、主なる神の約束に立って、主なる神の栄光に満ち溢れる教会を見ていきたいものである。