ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年に伝道開始50年を迎えます。

聖書日課 ナホム書3章

聖書日課 ナホム書3章(新共同訳 旧約pp.1461-1463)

 一体誰がこのようなことを想像しただろうか? あれほど強く、恐ろしく、豊かで繁栄を誇っていたニネベの町に、数え切れないほどのしかばねの山が築かれるなどということを! (3節)

 しかし、それは上辺しか見ようとしない人間の思いであり、主なる神の目、主なる神の御心においては、全く違っていた。主なる神の目に、アッシリアの罪は既に頂点に達していた。

 彼らは多くの人々の血を流した。町の全ては偽りに覆われ、略奪に満ち、人々を餌食にし続けました(1節)。また、「呪文を唱えるあでやかな遊女の/果てしない淫行のゆえに/彼女がその呪文によって諸民族を/淫行によって国々をとりこにした」(4節)とあるように、彼らは、淫乱な偶像礼拝を盛んに行って人々を堕落させていた。

 このような罪を、主なる神は決してそのままにしておかれることはない。主なる神は必ず罪と悪を裁き、汚れを取り除かれる。しかし、主なる神は即座に罪を裁かれることはない。慈しみ深い主は、罪人が悔い改めて立ち帰るのを忍耐深く待っておられる。ところが、アッシリアは、その主なる神の忍耐をいいことに、ますます罪と悪に染まり、極悪非道の数々を続けた。それ故、遂に主なる神の裁きの手が下される時がやって来た。

「見よ、わたしはお前に立ち向かうと/万軍の主は言われる。わたしは、お前の裾を顔の上まで上げ/諸国の民にお前の裸を/もろもろの王国にお前の恥を見せる」(5節)

アッシリアの王よ/お前の牧者たちはまどろみ/貴族たちは眠りこける。お前の兵士たちは山々の上に散らされ/集める者はいない。お前の傷を和らげるものはなく/打たれた傷は重い。お前のうわさを聞く者は皆/お前に向かって手をたたく。お前の悪にだれもが/常に悩まされてきたからだ」(18~19節)

 私達の時代も、私達の国も、そして私達自身も、主なる神の慈しみと忍耐の故に保たれて来たのではないだろうか。大切なことは、十字架の愛と赦しに立ち帰り、主に聞き従い、主に依り頼んで、主と共に生きることである。