聖書日課 ホセア書11章(新共同訳 旧約pp.1416-1417)
「わたしは、もはや怒りに燃えることなく/エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない」(9節)
これまでイスラエルの罪と反逆に対する厳しい裁きを語ってきた主なる神が、本章では一変して、「エフライムよ/お前を見捨てることができようか。イスラエルよ/お前を引き渡すことができようか」(8節)と、イスラエルへの憐れみの思いを語っている。
「一体どちらなのか?」と思う人もいるかも知れない。しかし、ここに主なる神の愛の真実が現れている。主なる神はこう言われている。
「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」(1節)
主なる神はイスラエルを御自分の子とされた。だからこそ、彼らが罪に陥れば厳しく叱り、そのまま放っておくことを決してなさらなかった。しかし、同時に主なる神は、彼らを見捨てることも決してなさらなかった。主なる神は彼らが立ち直ることをどこまでも信じておられた。
これが本当の親の愛というものではないだろうか。主なる神はイスラエルを御自分の子として愛しておられた。だからこそ、裁きの後には、彼らが再び約束の地に帰って来ることを約束された。
今、主なる神は、イエス・キリストを信じる者全てを御自分の子として受け入れて下さっている(ヨハネによる福音書1章12節)。主なる神は父として、私達を真実に真剣に愛して下さっている。だからこそ、私達に罪があればそれを指摘し、厳しく叱る。しかし、主なる神は私達を決して見捨てることはない。私達が、罪を悔い改めて主なる神に立ち帰り、再び豊かな恵みと祝福に満ち溢れて生きるように、誰よりも強く深く願いつつ、助けて下さる。