聖書日課 ホセア書7章(新共同訳 旧約pp.1410-1411)
イスラエルの滅亡は、彼らが主なる神から離れ、主の教えに逆らい続けたことに原因があった(13節)。主なる神は、そのような彼らのもとに多くの預言者を遣わし、何度も何度も警告を与えた。時には災いを起こしてでも、彼らの目を開かせようとされた。
しかし、主なる神がどんなにイスラエルを救おうとしても、彼らは主なる神の警告に耳を傾けようとはしなかった。
「彼らは心からわたしの助けを求めようとはしない。寝床の上で泣き叫び/穀物と新しい酒を求めて身を傷つけるが/わたしには背を向けている」(14節)
これはイスラエルが熱心に偶像を礼拝する様子を言っているのだろうと思われる。彼らは、災いに遭っても、自分達の罪を悔い改めようとせず、ますます偶像を拝むようになっていったのである。
しかし、このようなことはイスラエルだけの問題ではなく、私達自身も陥り易いことではないだろうか。災いや問題が起こった時、私達は、そこから謙虚に学ぼうとするよりも、嘆いたり不平を言ってばかりいるということはないだろうか。「どうせ自分は駄目なんだ」と諦めたり、自己憐憫に陥ることはないだろうか。その結果、いつまでも同じ間違いを繰り返してしまう。このようなことは一体どこに原因があるのだろうか。
「イスラエルを罪に落とすのは自らの高慢である。彼らは神なる主に帰らず/これらすべてのことがあっても/主を尋ね求めようとしない」(10節)
このように、問題の根源は高慢にあると聖書ははっきり教えている。高慢がイスラエルを主なる神から遠ざけ、主なる神の御声を聞こえなくしてしまっていた。それ故、問題や災いに遭っても、彼らは主なる神に立ち帰るのではなく、「エジプトに助けを求め、あるいは、アッシリアに頼って行」(11節)った。
問題や災いに出会った時、何よりも大切なことは、謙遜になってそこから学ぼうとすることである。そして、主なる神の御前に謙り、自らを反省し、主の御心に聞き従うことである。