ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えます。

聖書日課 エゼキエル書47章

聖書日課 エゼキエル書47章(新共同訳 旧約pp.1374-1376)

 神殿から流れ出た水、それがやがて大きな川となって、四方に流れて行く。すると、川の水も海の水もきれいになって(8節)、その水の流れ行くところはどこでも、全ての生き物が生き返り、魚も非常に多くなる(9節)。また、川の両岸には、あらゆる果樹が大きく育ち、葉は枯れることなく、果実も絶えることがなく、月ごとに実をつけて食用となり、葉も薬となる…(12節)。

 素晴らしい奇跡である! このようなことが起こったらどんなに嬉しいことだろうか。それは「水が聖所から流れ出るからである」(12節)と言われている。この水は命の水である。主なる神を礼拝する神殿の下から流れ出て、全てのものを潤し生かすのである。

 何と素晴らしいヴィジョンだろうか! しかし、エゼキエルがこの幻を見たのは、エルサレムの神殿が破壊されて14年も経過した時であり、彼らが捕囚としてバビロンに連れ去られて25年の年月が過ぎ去った時だった(40章1節)。一体どこの誰が、ボロボロの廃墟となった神殿から命の水が流れ出るなどと考えることが出来ただろう。また、一体誰が、捕囚とされたイスラエルが繁栄を取り戻して、多くの実を実らせ、周りの国まで生き帰らせるような存在になることなど信じられただろうか。

 主なる神がお与え下さる幻と御言葉による約束、それが全ての源であり土台である。御言葉と幻によって生きる民、それが神の民である。

 新約における神殿は、主イエス・キリストを信じて御霊を内に宿すキリスト者であり、キリストの体なる教会である。私達が、真実な信仰と礼拝を主にささげ、主の御教えに聞き従って歩む時、私達から命の水が流れ出て、死んでいた人々を潤し生かし、あらゆる汚れが清められ、豊かな実りと多くの祝福をもたらす、それが主なる神の約束でありヴィジョンである。あなたは、その約束を信じ、その幻を見ているだろうか。

「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』」(ヨハネによる福音書7章37~38節)