ようこそ、西原新生バプテスト教会のブログへ!

沖縄県中頭郡西原町にあるプロテスタント教会です。毎週日曜日10:30から礼拝をささげています。家のような教会で、御言葉の分かち合いと祈りを大切にしています。2022年9月に伝道開始50周年を迎えました。

聖書日課 ヨハネの黙示録21章

聖書日課 ヨハネの黙示録21章(新共同訳 新約pp.477-479)

 いよいよヨハネの黙示録のクライマックスである新天新地が実現する。1節で言われている「新しい天と新しい地」は、今存在する天と地が完成したものか、或いは全く新しい別のものであるかについては意見が分かれる。しかし、いずれにしても確かなのは、これが主なる神によって与えられる究極的な祝福の状態を示しているということである。

 この時、ヨハネは、「聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た」(2節)。そして、玉座から語りかける大きな声を聞いた。

「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。『見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである』」(3~4節)。

「新しいエルサレムは、9節で「小羊の妻である花嫁」と言われているように、救われた聖徒達の群れである教会を意味している。そして、そこには「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」と言われている。何故そのようになるのか。「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」からである。

 主なる神が人と共にいて、人が主なる神と共にいる。主なる神と人が、夫と妻のように一心同体となって永遠に住まう。主なる神によって与えられる究極的な祝福の本質がここにある。確かに、その都の外観は、「その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった」と言われている(11節)。また、その大きさも、信じられないほど大きなものである(16節)。

 しかし、この都の本質は、見た目の美しさや大きさではない。主なる神が人と共にいて、夫と妻、或いは親と子のような家族となって永遠に住んで下さることにある。そのことを私達は決して忘れてはならない。というのも、イエス・キリストを主と信じ、心に迎え入れた私達の内には、既に主が共にいて住んで下さっているからである。つまり、キリスト者は、この地上において「新しいエルサレムの本質を知り、そこに生きる者とされている。神の国は既に私達の内にあるのである。勿論、この世では、罪と悪が存在し、私達を苦しめる。しかし、それらは必ず滅び去る。その日を信じ、待ち望みつつ、今日も、主と共に、御心の道をまっすぐに歩む者でありたい。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
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聖書日課 ヨハネの黙示録20章

聖書日課 ヨハネの黙示録20章(新共同訳 新約pp.476-477)

 20章には、〈千年期〉と最後の審判について記されている。

〈千年期〉というのは、イエス・キリストが、「イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たち」と共に、この地上を統治する期間である(5節)。その間悪魔は、「底なしの淵に投げ入れ」られ、「諸国の民を惑わ」すことが出来ないようにされた(3節)。

 主イエス・キリストがこの世界を統べ治められる。何と素晴らしいことだろう!

 しかし、〈千年期〉には罪も問題も無くなるかと言えば、そうではない。何故なら、そこはあくまでも地上の世界だからである。たとえ悪魔が縛られていても、人間の罪は残っている。それ故、人は相変わらず、不正を働いたり、不道徳な行為に陥ったりする。

 そして、「この千年が終わると」、悪魔は「その牢から解放され」る(7節)。すると、悪魔は、忽ち「諸国の民」「惑わそうとして出て行き」「彼らを集めて」主なる神と「戦わせよう」とした。しかも、「その数は海の砂のように多い」(8節)! 人間がどんなに愚かで惑わされ易い者であるか、そして、悪魔がいかに恐ろしい存在であるかが分かる。主なる神だけが、悪魔を完全に支配することが出来る唯一の存在である。

「彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる」(9~10節)。

 ここに悪魔とその仲間の最終的な帰結が宣告されている。彼らは、「天から」「下って来」「火」によって「焼き尽く」され、「火と硫黄の池に投げ込まれ」「昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる」。そして、古い天地は去り、「新しい天と新しい地」がやって来る(21章1節)。

 ここにキリスト者の最終的な希望と目標がある! 私達の完全な勝利と解放がここに約束されている。この約束を堅く信じ、この日を待ち望みながら地上の生涯をまっすぐに生きる、それがキリスト者としての生き方である。

西原新生バプテスト教会
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2021年10月10日(日) 週報

2021年10月10日(日) 聖霊降臨節第21主日

○礼拝プログラム
招詞 詩編124編8節
讃美 67(よろずのもの とわにしらす)
交読 ヨハネによる福音書10章7~18節(新共同訳 新約pp.186-187)
主の祈り
聖書拝読 詩編23編1~6節(新共同訳 旧約p.854)
祈り 司式者
讃美 294(みめぐみゆたけき 主の手にひかれて)
宣教 「いつもわたしを」柏本隆宏協力牧師
讃美 527(わがよろこび、わがのぞみ)
聖餐式
祈り
奉献
頌栄 544(あまつみたみも)
祝祷 柏本隆宏協力牧師
報告

○報告
1. イエス・キリストを主と信じ、バプテスマを受けることを希望される方、また西原新生教会への転入会を希望される方は、柏本協力牧師までお申し出下さい。

2. 礼拝に参加される方は、消毒液による手洗いとマスク着用の上、間隔を空けて座り、引き続き新型コロナウィルスの感染予防にご協力をお願い致します。

3. 本日聖餐式が行われます。主イエス・キリストの十字架のご苦難と死を偲びつつ聖餐の恵みに与りましょう。

4. 一日一章の聖書通読は、今週でヨハネの黙示録が終わり、再び創世記に戻ります。日々の生活の中で聖書通読と祈りを大切にし、主なる神との交わりの時を確保しましょう

5. 教会のラクの配布を始めています。ポストに投函したトラクトの一枚一枚が主なる神によって用いられますようお祈り下さい。また、配布された方は、重複を避けるため、配った枚数と地区について報告をお願い致します。

6. 11月14日(日)主日礼拝は、召天者記念礼拝として、先に天の父の御許に召された方々を覚えて、礼拝を献げます。新型コロナウィルスの感染予防のため、昼食の注文は行わず、礼拝後、茶菓を囲んで召天者との思い出を語り合います(終了時刻は12:30の予定です)。

7. 12月19日(日)クリスマス礼拝をお献げします。新型コロナウィルスの感染予防のため、様々な制約がありますが、準備に関して提案がありましたらお申し出下さい。

8. ブログは随時更新しています。聖書日課の箇所に関する短いメッセージを載せていますので、日々の聖書通読の一助としてご参照下さい。
https://nschrist1972.hatenablog.com/

○トラクト配布について 2021年度: 1,880部(2021年10月10日時点)
教会周辺 50部
教会~小橋川公民館 道路沿い 50部
国道329号線沿い 25部
西原東小学校周辺 100部
西原町役場周辺(西原町与那城) 95部
西原台団地 95部
県営与那原第二団地(与那原町板良敷) 50部
西原高校周辺 350部
琉球大学病院周辺(西原町上原) 50部
琉球大学教育学部附属小学校周辺(西原町千原) 140部
首里駅周辺 210部
石嶺団地周辺(首里石嶺町) 100部
浦添前田駅周辺 150部
経塚駅周辺 180部
儀保駅周辺 65部
市立病院前駅周辺(首里末吉町) 145部
旭橋駅周辺 25部
*1997年度~2020年度までの累計: 183,530部

○聖書日課
10日(日) ヨハネの黙示録20章
11日(月) ヨハネの黙示録21章
12日(火) ヨハネの黙示録22章
13日(水) 創世記1章
14日(木) 創世記2章
15日(金) 創世記3章
16日(土) 創世記4章

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2021年10月3日(日) 週報

2021年10月3日(日) 聖霊降臨節第20主日

○礼拝プログラム
招詞 イザヤ書57章15節
讃美 66(聖なる、聖なる、聖なるかな)
交読 コロサイの信徒への手紙3章12~17節(新共同訳 新約pp.371-372)
主の祈り
聖書拝読 詩編19編1~15節(新共同訳 旧約pp.850-851)
祈り 司式者
讃美 74(涯しも知られぬ あまつ海原を)
宣教 「わたしの贖い主よ」柏本隆宏協力牧師
讃美 316(主よ、こころみ うくるおり)
祈り
奉献
頌栄 543(主イエスのめぐみよ)
祝祷 柏本隆宏協力牧師
報告

○報告
1. イエス・キリストを主と信じ、バプテスマを受けることを希望される方、また西原新生教会への転入会を希望される方は、柏本協力牧師までお申し出下さい。

2. 礼拝に参加される方は、消毒液による手洗いとマスク着用の上、間隔を空けて座り、引き続き新型コロナウィルスの感染予防にご協力をお願い致します。

3. 9月29日(水)、前の週に引き続き祈祷会を行うことが出来ました。今後も、毎日・毎週会堂に集まるのは難しいですが、祈祷会を行っていきます。その一方で、日常生活の中で聖書通読と祈りを大切にし、主なる神との交わりの時を毎日確保しましょう。また、祈りの生活の一助として、「祈りの課題」をまとめました。家庭でご活用下さい。
https://nschrist1972.hatenablog.com/entry/2021/09/29/223814

4. 教会のラクの配布を始めています。ポストに投函したトラクトの一枚一枚が主なる神によって用いられますようお祈り下さい。また、配布された方は、重複を避けるため、配った枚数と地区について報告をお願い致します。

5. 庭の雑草の刈り取りや会堂の清掃など、皆で心を合わせて主の宮を綺麗に致しましょう

6. 聖餐式は次週10月10日(日)に行われます。

7. 教会員のご親族が9月30日(木)、急逝されました。愛する人を失い、悲しみの中にあるご遺族の方々に、主の慰めと平安が与えられますようお祈り致します。

8. ブログは随時更新しています。聖書日課の箇所に関する短いメッセージを載せていますので、日々の聖書通読の一助としてご参照下さい。
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○トラクト配布について 2021年度: 1,775部(2021年10月3日時点)
教会周辺 50部
教会~小橋川公民館 道路沿い 50部
国道329号線沿い 25部
西原東小学校周辺 100部
西原町役場周辺(西原町与那城) 95部
西原台団地 95部
西原高校周辺 350部
琉球大学病院周辺(西原町上原) 50部
琉球大学教育学部附属小学校周辺(西原町千原) 140部
首里駅周辺 205部
首里石嶺町周辺 50部
浦添前田駅周辺 150部
経塚駅周辺 180部
儀保駅周辺 65部
市立病院前駅周辺(首里末吉町) 145部
旭橋駅周辺 25部
*1997年度~2020年度までの累計: 183,530部

○聖書日課
3日(日) ヨハネの黙示録13章
4日(月) ヨハネの黙示録14章
5日(火) ヨハネの黙示録15章
6日(水) ヨハネの黙示録16章
7日(木) ヨハネの黙示録17章
8日(金) ヨハネの黙示録18章
9日(土) ヨハネの黙示録19章

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聖書日課 ヨハネの黙示録19章

聖書日課 ヨハネの黙示録19章(新共同訳 新約pp.475-476)

 大淫婦バビロンが滅亡したことにより、天においては「大群衆の大声のようなもの」による主なる神への讃美が起こった(1~5節)。また、「小羊」イエス・キリスト「花嫁」である教会の「婚礼の日が来」たことが宣言され、天において再び讃美が起こった。

「わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷のようなものが、こう言うのを聞いた。『ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである』」(6~8節)。

 いよいよイエス・キリストの再臨の時がやって来た。イエス・キリストの再臨は、キリスト信仰の目標であり希望である。キリスト者は、主の再臨を信じ、期待することによって、現在の艱難、苦難を乗り越える力を得ることが出来る。キリスト信仰は、それによって正しく生きることが出来るとか、人のために尽くすことが出来るというような倫理が目的の全てではない。信仰の目標は、神の国と神の義を求めていくことであり、そこから倫理が生まれてくる。

 しかし、その倫理は神の国の倫理なので、この世では理解されないことがある。ローマ帝国によって教会が迫害されたのはそのためである。日本でも同じ理由でキリスト教は批判されてきた。

 その一方で、神の国の倫理は信仰の力であり証しにもなった。ローマ帝国の迫害によって殉教していった人々が、苦しみの中で主なる神をほめたたえたことが伝えられている。このことは当時の人々にとって、とても理解出来ないことであったに違いない。しかし、色々な問題が起きた時に、なおそこで主なる神を讃美することが出来るというところに、キリスト信仰の力と証しがある。

 このように、キリスト信仰は、イエス・キリストの再臨に焦点を合わせていくものであり、主の再臨を抜きにしては、キリスト信仰は有り得ない。

 今、私達の信仰の焦点は、どこに当てられているだろうか。目に見えるものや状況に焦点を当てるのではなく、主の再臨に信仰の焦点を合わせ、再臨の主イエス・キリストに目を向けることによって、苦しみの中でも讃美を、困難の中でも喜びを失わずに歩むことが出来る。

「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」(ヘブライ人への手紙12章2節、口語訳)。

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聖書日課 ヨハネの黙示録18章

聖書日課 ヨハネの黙示録18章(新共同訳 新約pp.472-474)

 バビロン(ローマ)が滅びる、それがヨハネの見た幻だった。その幻を見たのは、ローマ帝国の勢力が最も盛んな時だった。キリスト者がどんなに力を合わせても、ローマの強大な力の前に到底勝つ見込みなどなかった。それどころか、教会は、ローマの迫害によって徹底的に叩き潰されようとしていた。だから、ヨハネの見た幻について聞いても、多くの人々は、ローマが滅びることなど想像すら出来なかったに違いない。

 しかし、主なる神の裁きというのは、毎日少しずつ季節が移り変わっていくように行われるのではない。大空に稲妻が走るように、突然「一日のうちに」やって来る。

「彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『わたしは、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない』。それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである」」(7~8節)。

 人は、今目の前にあるもの、現在の状況だけを見て、安心したり、焦ったりする。そして、物や金や力の上に自分の生活の安全を得ようとする。しかし、キリスト者は、主なる神の視点からものを見、主なる神の御心によって状況を判断していかなければならない。もし主なる神の御心に反しているなら、今それがどんなに盛んであったとしても、やがて必ず滅び去る。そのことを見通し、確信に立って主の御心の道を歩み続けることが大切である。そうでなければ、バビロンの滅亡を目の当たりにした時の「地上の王たち」と同じように、私達も、裁きの日に嘆き悲しむ者となってしまう。

「彼女とみだらなことをし、ぜいたくに暮らした地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を見て、そのために泣き悲しみ、彼女の苦しみを見て恐れ、遠くに立ってこう言う。『不幸だ、不幸だ、大いなる都、強大な都バビロン、お前は、ひとときの間に裁かれた』」(9~10節)。

 それ故、主なる神は、こう警告しておられる。

「わたしの民よ、彼女から離れ去れ。その罪に加わったり、その災いに巻き込まれたりしないようにせよ。彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである」(4~5節)。

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聖書日課 ヨハネの黙示録17章

聖書日課 ヨハネの黙示録17章(新共同訳 新約pp.471-472)

 17章と18章では、第7の鉢によってもたらされた「大バビロン」(5節)に対する裁きが、詳細に述べられている。まず17章で、「大淫婦」(1節)としてのバビロンに対する裁きの宣告が、続く18章では、バビロンの滅亡の様子が記されている。

 旧約の預言者が繰り返し批判したバビロンは、人間の高ぶりと虚栄の象徴であった(イザヤ書13~14章、エレミヤ書50章)。バベルの塔にその起源があり、人々は主なる神に反逆し、知恵と力を思いのままにしようとした(創世記11章)。

 また、紀元前7世紀後半に新バビロン帝国は世界の覇者となった。その首都バビロンは、空中庭園などの贅を究めた巨大都市で、不落の都と呼ばれ、人間の権力と高ぶりの象徴のような存在だった。

 しかし、ヨハネや当時のキリスト者にとって、この「大淫婦」バビロンは、ローマ帝国を意味していたと思われる。当時、ローマ帝国は、その強大な権力の故に増長し、退廃していた。そこで多くのキリスト者が迫害を受けて殉教した(6節)。

 教会は、このようなローマ帝国の激しい迫害の中で、慰めと希望を必要としていた。それに対し、主なる神はヨハネを通して、この幻を書き記して下さった。

 いつの時代にも、人々を誘惑して主なる神から引き離そうとする、貪欲で残虐なバビロンが存在する。しかし、私達は、バビロンの末路が既に定められているということを決して忘れてはならない。

「すると、天使がわたしにこう言った。『なぜ驚くのか。わたしは、この女の秘められた意味と、女を乗せた獣、七つの頭と十本の角がある獣の秘められた意味とを知らせよう。あなたが見た獣は以前はいたが、今はいない。やがて底なしの淵から上って来るが、ついには滅びてしまう』」(7~8節)。

「七つの頭」というのは、主なる神を御座から引き下そうと、次々と現れる勢力である。また、「十本の角」は、小羊イエス・キリストとその教会に戦いを挑む獣を助けるために結集した者達である(13節)。しかし、彼らについてはこう言われている。

「この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める」(14節)。

 どんなに強大に見えるバビロンも、最後は敗北に終わる。小羊イエス・キリストと主と共にいるキリスト者が勝利を収める。この勝利を信じ、待ち望むこと、そこに信仰の忍耐と希望がある。

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聖書日課 ヨハネの黙示録16章

聖書日課 ヨハネの黙示録16章(新共同訳 新約pp.469-470)

 いよいよ「七つの鉢に盛られた神の怒り」「地上に注」がれる時が来た(1節)。これまでにも主なる神の裁きによる災いがあった。しかし、それはあくまでも限定的なもので、人々に悔い改めの機会を与えるためのものであった。しかし、今回の災いは、全世界に及ぶ徹底的なものであった。

 第一の「鉢の中身」「地上に注」がれると、サタンの「刻印を押されている人間たち」や、偶像を「礼拝する者たちに悪性のはれ物ができた」(2節)。

 次に、第二と第三の「鉢の中身」が注がれると、「海」「川」「水は血に」変わってしまった(3~4節)。「この者どもは、聖なる者たちと預言者たちとの血を流しましたが、あなたは彼らに血をお飲ませになりました。それは当然のことです」と言われている(6節)。

 第四の「鉢の中身」が注がれると、「太陽」「激しい熱」によって人々が焼かれた(8~9節)。第五の「鉢の中身を獣の王座に注ぐと」「獣が支配する」地上の王国は「闇に覆われた」(10節)。

 続いて第六の「鉢の中身」が注がれると、ユーフラテス「川の水がかれ」た(12節)。すると、「竜」「獣」「偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来」て(13節)、「全世界の王たち」「全能者である神」と戦わせるために「集め」た(14節)。いわゆる「ハルマゲドン」の戦いである(16節)。

 そして、最後の第七の「鉢の中身」「空中に注」がれると、「神殿の玉座から大声が聞こえ、『事は成就した』と言った」(17節)。すると、「いまだかつてなかったほどの大地震が起こり(18節)、「一タラントン」(約35kg)もの重さの「大粒の雹が、天から人々の上に降」り(21節)、「諸国の民の方々の町」が崩壊し(19節)、「島」「山々も消えうせた」(20節)。

 何と激しい、そして、何と恐ろしい災害だろうか! しかし、ここで注目したいのは、これほどの災いが下ったにもかかわらず、人々は悔い改めようとしなかったことである。それどころか、却って主なる神を冒瀆し、主なる神と戦うために結集するというのである!

「人間は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒瀆した。そして、悔い改めて神の栄光をたたえることをしなかった」(9節)。

「人々は苦しみもだえて自分の舌をかみ、苦痛とはれ物のゆえに天の神を冒瀆し、その行いを悔い改めようとはしなかった」(10~11節)。

「人々は雹の害を受けたので、神を冒瀆した。その被害があまりにも甚だしかったからである」(21節)。

 人間の心は何と頑ななのだろうか! 驚きを覚える。主なる神は、これまで何度も何度も警告を与え、何年もの間、何百年もの間、忍耐してこられた。それでも聞かなければ、罰を下してでも、人々が悔い改めて救われることを待ち続けてこられた。しかし、悪魔に与する人々は、最後まで主なる神を拒否し続けるというのである!

 これを読んでいて、私はふと思った。地獄とは、主なる神に拒否された人が行く場所ではなく、主なる神を拒否した人が行く所ではないかと。拒否されたのは主なる神の方である。主なる神の呼びかけと警告を最後まで受け入れようとしない人が自ら選んで行く所、そこが地獄である。一方、主なる神を信頼し、その愛と恵みを受け入れ、罪を悔い改めた人々、主なる神に聞き従う人々が行く所、それが天国である。つまり、天国に行くにしても、地獄に行くにしても、誰もそれを主なる神のせいにすることは出来ない。それは私達一人一人の選択によるものだから。

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主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

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聖書日課 ヨハネの黙示録15章

聖書日課 ヨハネの黙示録15章(新共同訳 新約pp.469-470)

 15章で、ヨハネ「天にもう一つの大きな驚くべきしるしを見た」と語っている(1節)。そのしるしとは、「七人の天使が最後の七つの災いを携えていた」というもので、「これらの災いで、神の怒りがその極みに達するのである」と記されている。いよいよ主なる神の怒りの時が満ちたのである。

 これらの天使が任務を果たそうとしている時、ヨハネは、ガラスのような海の岸に立っている人々を見た。彼らは「獣に勝ち、その像に勝ち、またその名の数字に勝った者たち」であると言われている(2節)。この人々は一体どのようにしてサタンとその仲間による激しい攻撃に勝利することが出来たのだろうか。

 実は、その答えは既に記されている。小羊が第六の封印を開いた時、ヨハネはこの人々を見ている。彼らは「神の言葉と自分たちがたてた証しのために殺された人々」である(6章9節)。

 第六の封印が開かれた時、彼らは「真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者にわたしたちの血の復讐をなさらないのですか」と叫んだ。すると、「その一人一人に、白い衣が与えられ、また、自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた」(6章10~11節)。

 そして、15章で、遂にその数が満ち、主なる神の裁きが下される時がやって来た。それを知った彼らは、「神の竪琴を手にして、このガラスの海の岸に立って」「神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった」(2~3節)。

「全能者である神、主よ、あなたの業は偉大で、驚くべきもの。諸国の民の王よ、あなたの道は正しく、また、真実なもの。主よ、だれがあなたの名を畏れず、たたえずにおられましょうか。聖なる方は、あなただけ。すべての国民が、来て、あなたの前にひれ伏すでしょう。あなたの正しい裁きが、明らかになったからです」(3~4節)。

 殉教は、敗北ではなく、勝利である。どんなに厳しい迫害にも屈せず、どんなに大きな脅かしにも怯まず、どんなに激しい誘惑にも陥らず、命を賭けて信仰を全うすること、それが殉教である。

 このような人々の血を、主なる神が無駄に流させることはない。彼らが勝利を信じて全うした信仰に、主なる神は必ず答えられる。何故なら、天地を造られた主は、義なる神であり、真実そのものの方だからである。この主なる神の義と真実に全幅の信頼を寄せて生きること、キリスト者が悪に屈せず正しく生きる土台はそこにある。

西原新生バプテスト教会
主日礼拝 毎週日曜日10:30~12:00

〒903-0121 沖縄県中頭郡西原町内間27-2
電話・FAX 098-946-0119
メールアドレス

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聖書日課 ヨハネの黙示録14章

聖書日課 ヨハネの黙示録14章(新共同訳 新約pp.468-469)

 12章、13章では、サタンを意味する竜と竜に仕える2匹の獣による神の民への攻撃を見てきた。それに対し、14章で、ヨハネは、6人の天使が次々に現れるのを見たと記している(6節以降)。これは、竜と2匹の獣による攻撃に対する主なる神の応戦と言うことが出来るだろう。

 第一の天使が、「空高く」現れ(6節)、「大声で言った」

「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい」(7節)。

 すると、第二の天使が現れ、「大バビロン」の崩壊について告げた(8節)。ローマ帝国に代表される主なる神に敵対する全ての勢力は確実に倒れる。

 続いて、第三の天使は、獣を拝んだ者への刑罰を宣告した。

「だれでも、獣とその像を拝み、額や手にこの獣の刻印を受ける者があれば、その者自身も、神の怒りの杯に混ぜものなしに注がれた、神の怒りのぶどう酒を飲むことになり、また、聖なる天使たちと小羊の前で、火と硫黄で苦しめられることになる」(9~11節)。

 しかし、これとは対照的に、「主に結ばれて死ぬ人」、即ち主イエス・キリストへの信仰をもって地上の生涯を終える人は、「労苦を解かれて、安らぎを得る」(13節)。

 続いて、第四の天使が、「雲の上に座っておられる」「人の子のような方」(14~15節)、即ち主イエス・キリストに向かって「大声で」収穫の時期の到来を告げ、「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています」(15節)と願った。すると「地上では刈り入れが行われた」(16節)。

 第五の天使が、「手に鋭い鎌を持っていた」のは(17節)、主の刈り入れの業に従うためであると思われるが、同時にそれは「神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れ」るためでもあった(19節)。ここにも裁きが暗示されている。主なる神の怒りによる審判の時がいよいよ近づいて来た。それ故、主なる神は、人々に最後の悔い改めの招きと審判の告知をされた。

 一方、これと前後して、ヨハネは、「小羊がシオンの山に立っており、小羊と共に十四万四千人の者たち」がいるのを見た。彼らの「額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた」(1節)。この「十四万四千人の者たち」は、「地上から贖われ」て天にいる人々(3節)、即ちイエス・キリストへの信仰的純潔を保った人々、主に属する聖なる者を指している。

 ここで興味深いことが記されている。

「彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった」(3節)。

 普通の歌なら、新しい曲であっても何度か聞けば歌えるようになる。しかし、主なる神を讃美する歌は、イエス・キリストを信じて新しい命を与えられ、新しい世界に生きる者とならない限り、本当の意味で歌っていることにはならない。主なる神の御子イエス・キリストの十字架によって贖われた者として、この世や自分ではなく主なる神を第一にして生きる者でなければ、「新しい歌」を歌うことは出来ないのである。

 主イエス・キリストが私のために十字架について死んで下さった! そして、このような者が主なる神の御前に義とされた! 私達は、この感動と喜びを決して忘れることなく、新しい歌を主に向かって歌い続ける者でありたい。

西原新生バプテスト教会
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